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「生きる意味」の見つけ方【人生哲学】

しょくぱにすと
2018/11/22 (更新: 2019/12/2)

ども、しょくぱにすとです。
今回は人生哲学のお話をします。

大学生だった頃、「生きる意味」について考え込んでいた時期がありました。

考えても考えても、死んだら終わりの人生に「生きる意味」があるとは思えませんでした

幸い、僕の場合は、生きるのが辛かったという訳ではないです。
何を目標に頑張れば良いのか分からず、無気力感に苛まれていた日々があったのです。

そんな過去の葛藤の中で、「生きる意味」の一つの答えといえる考えにたどり着くことができました。

決して十分ではないですが、知っていると「生きる意味」を見失いにくくなります。

僕の人生観のコアにもなっている人生哲学です。

コギ菜
コギ菜

生きているだけで儲けものっていうけれどね。

コギ斗
コギ斗

なぜ生きているのか、考えだすと不思議で仕方ないよな

コギ菜
コギ菜

一度きりの人生だから、ちゃんと生きたいね

コギ斗
コギ斗

そのために、生きる意味を見つけないと

「生きる意味」を考える心理

普段普通に生活していると、あまり考えないですが、時々ふと、「生きる意味」について無性に考え込んでしまう事ってありませんか?

僕はけっこう、考え込んでしまうタイプです。

答えが見つかる問いではないので、あまり考えないようにしていますが、一度現れると頭から離れないくて、厄介だと感じています。

そこで、どういう状況で、「生きる意味」といった問いについて考えてしまうのか、その心理を分析してみました。

人生がうまく行っていない

ネガティブな気分になっている時に、人生や生きる意味について、考えることが多いです。

具体的には

  • 毎日仕事するだけで、将来が見えない時
  • 理想の自分と今の自分のギャップが大きいと感じる時
  • メンタル的にやる気がでない時

というような場面ですね。

一見、ネガティブに思い塞いでいる状態と思われますが、

辛い時こそ、より良い新しい自分に変わろうとしている変換期でもあります。

無意識に人生に関する問いについて考え込んでしまうのは、精神が次のステージを目指そうとしている証拠でしょう。

なので、深刻に捉えすぎず、成り行きに任せた上で前向きに、「生きる意味」を考えていくので良いでしょう。

暇すぎる

たとえネガティブでなくても、圧倒的に時間を持て余している時、人は人生について考えるようにできていると思います。

時間が有り余っていていると、どういう時間の使い方をするべきか考えますよね。

その際に、そもそも人生とは何なのか?といった、漠然としていてかつ、本質的な問いに向き合うことになりやすいです。

具体的には、

  • 大学生の夏休み
  • 社会人で久々に取った休暇
  • 旅の最中

等が挙げられます。

人生に置いて、じっくりと人生について考えられる時間がある時期は中々ないです。

考えられる時に思う存分考えておくことが、以降の人生の加速度に影響してきます。

「生きる意味」は絶対にあると、僕は確信した

ハイデガーの『存在と時間』という哲学書を知る

ひょんなことから、大学時代のドイツ語の授業で、ハイデガーの『存在と時間』という哲学書を知りました。

哲学は全く分からなかったので、解説している本を読んだのですが、軽く衝撃を受けました。

直接原書を読んだ訳ではないので、何も理解できていないかもしれませんが、生きる意味を考えるにぴったりな本でした。

『存在と時間』概要の解説サイト

この本について語る長くなるので、詳細はまた別の記事にまとめますね。

当時一番印象に残ったのが、

自分の死に向き合うことによって、本来のあるべき姿を意識するようになり、堕落した今の自分から変わっていける

というような主張です。

より良く生きたいと考える際に、死について考えるという、逆説的な発想が強烈でした。

自転車の旅で、当て逃げされたて悟った。「まだ死ねない」と。

サイクリングに出会って僕の人生は変わった

ちょうど『存在と時間』の解説本を読んでいた頃、自転車旅をしました。

この旅の中で、車に軽く当て逃げされました。

かすり傷だったので、問題はなかったのですが、あと数センチでもズレていたら本当に大変なことになっていました。

自分はあの時もしかしたら死んでいたかもしれないと思うと、ゾッとしました。

まだ死ねないし、まだまだやり残したことがある。

こんなところで人生終われないと、強く心に刻まれました。

ここでふと、読んでいた本の内容を思い出します。

「死に直面して、本来の自分のあるべき姿を意識するようになる」と。

この旅を終えてすぐ、その本の続きを読み、自分の今後の人生について、ちゃんと考えることにしました。

それ以来しばらく、自転車旅は危険なのでやらないと決めて、人生を良くしていくことに注力するようになります。

生きている意味は分からないけれど、生きて何かしなければならない

この出来事以降、具体的に何をやるべきなのかは分からないけれど、まだやり残したことがありすぎてまだ死ねないという意識を持ち続けるようになりました。

せっかくの人生で、何も成し遂げずに終わるのは無念すぎるので、絶対に何か生きている間に、世界に何かを残したい気持ちが強まります。

生きている意味は、まだ分からないけれど、生きて何かしなければならないことだけは確信しました。

それから、ちょっとずつ、「生きる意味」とか人生について、意識的に考えるようになります。

「世界に対する愛」が「生きる意味」の一つの答えだった

生きる意味はあるが、それが何か分からなくて、人生に絶望

より人生を送る方法を知りたかったので、哲学と認知科学の本を読んで勉強した。

人の仕組みや性質についての理解は進んだけれど、自分個人がどうすればいいのかヒントにはあまりならなかったです。

その点では、僕には、宗教の方がよっぽど効果的だと思いました。
ただ、残念ながら無宗教だったので、その方向性はありませんでした。

ここで一旦、人生に絶望します。

やりたいことはたくさんあって、生きる意味はあると確信していたけれど、それが何なのか分からないのです。

現実世界の中で、自分が何を目指して、何をやっていけば良いのか、全く分からなくなって、思考が完全に停止してしまいました。

「世界に対する愛」という言葉に出会う

単位集めのために取っていた教養の講義で、『生きる意味』という本を読んでレポートを書く課題がありました。全く真面目に取り組みませんでしたが、ひとつだけ得たものがあります。

それが、この本の中で出てくる、

世界に対する愛

という言葉です。

本文の中での意味は忘れてしまいましたが、この言葉は、当時の自分に響いて、今でも自分のコアになっています。

めちゃくちゃ拙い文章ですが、当時の僕の課題レポートの一部を抜粋します。

よく自己啓発本などで、幸せになるためには「自分の好きなことをしろ」というようなことが書かれている。
しかし、ここでは、「好きなこと」を「世界に対する『愛』」と表現していて、自分の全人生をかけてでもしたいことというようなニュアンスが感じられる。
「生きる意味」そのものを表している言葉のように聞こえた。
世界に対する愛、絆。
僕にとってこれこそが生きる意味だと思った。
世界の中で愛せる対象を見つけられるとどれほど人生は豊かになるのだろうか。
考えているだけでワクワクするぐらいであるが、それほど、この言葉は生きる意味の本質を的確に表しているのではないかと思う。
そしてまた、僕は世界を「愛」する人に是非、なりたいと思った。

自分にとって「生きる意味」とは、世界を愛することです。

地球にヒトとして生まれて、21世紀の社会の中で生きる存在として、これらを全て愛することです。

積極的に世界に働きかけることができて、生きる意味そのものを獲得できるようになりました。

これだけが、答えではないでしょうが、現時点の僕の中では一番解答に近いと思っています。

自分がよく生きるために、自分が認識している世界を大切にするということ。

視野が狭くなっていると到達できない考え方ですね。

「世界を愛する」ということ

何もかもを好きになれということではありません。

嫌いなことに対しては、嫌いなままで良いです。

ただ、嫌いなことが存在するこの世界を嫌いになってはいけないということです。

大きな心をもって、この世界に善悪が存在することを受け入れ、世界そのものの複雑さと魅力を愛するのです。

すると自然とすべてが上手く行くようになります。

再度、生きる意味が分からなくなった時も、「世界に対する愛」を意識していれば、突破口がすぐに見えるようになります。

まとめ

人生うまく行っていない時や、暇で時間が有り余っている時に、「生きる意味」を考えてしまう人間の心理があります。

それは、新しい自分に変わろうとするための精神にとっての成長期です。

深刻に捉える必要はなく、流れに身を任せて、緩く前向きに対応していく姿勢で大丈夫です。

僕の場合、ハイデガーの『存在と時間』と、自転車旅での事故を通して、まだ生きる意味は何か分からないが、生きて何かしなければならないことを確信しました。

現時点では「世界に対する愛」が「生きる意味」の一つの答えだと思っています。

世界を愛する方法を自分なりに見つけることが、「生きる意味」の見つけ方です。

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